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人旅 19meets 浦上雅彦さん

地域の魅力的な方々を旅する『人旅』。今日の旅先は自由民主党岡山市議団、幹事長の『浦上雅彦』さんだ。

中区選出の市議会議員として、『倉安川改修工事』『百間川沿い歩道整備』『平井神崎線整備』etc数々の政策を打ち出し実行されてきている有能な政治家でいらっしゃる。

浦上さんは僕の中学校の大先輩でもある。一体どんな御仁なのであろうか。

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浦上さんは1965年生まれ。沖新田地域が地元であり、富山小学校、操南中学校そして朝日高校では生徒会長をやっていた。そして大学時代を経て(故)門木和郎県議の秘書を4年にわたりなさった。

その後33歳の時岡山市議選で初当選(最年少当選)以来4期16年にわたり岡山市議を務めてこられた。

政治に必要なリーダーシップを子供の頃から発揮し、社会に出てからも政治の世界に身を置かれた生粋の政治家なのだ。

大元  『政治家としてのルーツは何でしょうか?』

浦上さん『子供の頃から人の世話をするのが好きであった。誰かのために役に立つことに喜びを感じていた。だから生徒会 長を小中高とやってきたんです。ルーツといえばそれぐらいまで遡るだろうなあ』

 

子供の頃から政治家の片鱗を見せていた浦上さん。僕は浦上さんにはそういった『人を導く縁と力』を生まれながらに持っておられると思う。だからこそ現在の岡山市議の道を歩いておられるのだろう。

 

大元  『社会に出られて門木先生の秘書をやっておられましたね。当時の思い出などをお聞きしたいのですが。』

浦上さん 『(故)門木先生の下で政治をしっかりと学ぶことができた、門木先生は笑顔が屈託ない、豪快な先生でしたよ。そして『勘』が鋭い方だった。『風を読む力』と言ったほうが良いかな。世の中や物事の流れや先を読む力が抜群にずば抜けていた。』

 

大元   『(故)門木先生から学ばれたことは何でしょうか?』

浦上さん 『政治とはダイナミックな政策を打ち出し、きっちりそれの結果を出す。夢を語ってその夢を実現する。これこそが政治であるということを先生から学ばせていただきました。』

 

『政治は夢』であると浦上さんは語る。夢は人を元気づけ、明日への希望に繋げる。

夢を語って人々に活力を与え、その夢を実現するために全力を尽くす。政治家はそうあるべきであると浦上さんは話してくれた。

大人になるにつれて僕らは現実を知り、次第に子供の頃のように大きな夢のキャンバスに思い思いの夢を描くことを忘れていく、だけど浦上さんはそれを潔しとしない。

厳しい現実であっても一筋の希望の光を照らす。人々に希望を与え、それを見せてあげることが政治家の仕事なんだ。

 

大元  『岡山市議への出馬のきっかけは何だったのでしょう?』

 

浦上さん『何と言っても、地元地域を守りたいという思いに尽きる。当時富山操南中学校区は干拓地の歴史があることからも水はけが悪く、大雨になると冠水していた。この『水害から地域を守りたい』という思いが募り、自らが選挙戦に出馬し、市議となって地元のために働きたいと思うきっかけになったんです。』

 

事実初当選をしてから浦上さんは倉安川の改修事業を実現に向けて尽力され、現在では富山中学校区では水害が解消、地元地域を守ることに成功なさった。

浦上さん『初当選当時、私は情熱だけで選挙戦を勝ち抜き議会へ送り込んでいただいた。それに市議になってからも燃えたぎる情熱こそが仕事へのガソリンでした。岡山市職員の方々と日々熱のこもった議論に議論を重ね、より良い地域にしていくための策を一生懸命考え、実践しました。』

『若くして当選すると政治の世界ではなかなか難しいことも沢山ある。でも諦めないで現実を打破するために、自分のやりたいと思うことを発信し続けたんです。』

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当時を振り返る浦上さんのお話はどれも情熱が感じられ、当時の熱いハートは現在もそのままである。これは凄いことだと僕は思う。年やキャリアを重ねていくとどこかで『最初の気持ち』ってやつを忘れがちだ。

でも浦上さんは違う。月日を重ねれば重ねるほど、情熱の温度は上昇し続けていっているのだ。

岡山市が政令指定都市になった時、岡山市の区割りでも浦上さんは持ち前の実行力を発揮なされた。当時3区に分ける予定であった区割りを東区と中区を分けて4区になる道筋を作られた。

これには歴史的背景などを考慮した結果現在の東区と中区を1区にするのは相応しくないと考えたからだが、浦上さんの思いは岡山市民とも重なりあっていたのだ。何と中区創設には地域3万人の署名も集められたんだ。市民の切望を実現するために、当時総務委員長をやっておられた浦上さんは中区創設に全力で取り組み、見事これを成し遂げたのである。

 

浦上さん 『大元さん、中区には発展する可能性があるんです。それは中区だけがあの神戸の町と人口密度が同じなんですよ。ということは、神戸のようなパワーと活気のある町のように発展させていけるかもしれない可能性を中区は秘めていると私は強く感じています。』

『これから中区が発展してく鍵となる課題は農地の扱いであると私は認識しています。農地を保護し残していくという考えに固執するのではなく、もっと大きな視点で物事を考え、中区が発展するために農地をどのように扱っていくのかという道筋をしっかり考えなくちゃいけない。農地の扱いは中区の将来の発展の鍵なんですよ。』

 

浦上さんは沖新田のある中区選出の議員である。だから地元だけでなくもっと大きなくくりである中区の発展についても可能性を感じておられるし、精力的に動かれているんだ。

僕は学区の先輩である浦上さんと交流させていただいている。付き合ってみて分かることは、彼は『ふるさと愛、地元愛』を心の底から感じておられ、それを表現するために政治家を続けているということだ。

政治の世界は一寸先は闇だ。さまざまな人間の思惑が渦巻き、油断なら無い世界。

その中で真直ぐに地元のこと、中区のこと、そして岡山の発展に心血を注ぐ彼の姿勢を僕は尊敬している。

『政治家にもこんな男がいるんだ』

僕は浦上さんにそれを教わった。この岡山もまだまだ捨てたもんじゃない。彼の夢は僕の夢でもあり彼を支持する地元の方々の夢でもある。それを背負えるのは、誰でもできることではない。器量がどデカく、品格を備えた彼だからこそできる。

最後に『心のことば』をお聞きした。浦上さんがいつも心においている大切な言葉は何だろうか?

 

『打つ手は無限である』

 

浦上さん 『どんなに困難にぶつかろうとも、不可能な壁に行く手をさえぎられ動けないと思えたとしても、視点・考え方をさまざまな位置に変えることで、打破する策は必ず見つけ出す事ができる。人は乗り越える力を持っていると思います。』

 

今まで取り組まれた政策は決して簡単にいくものばかりではなかったはずだ。

夢を語り、周りの人たちから『無理に決まっている』そう言われても、彼の中に諦めるという文字は存在しない。どんな事にも飽くなき情熱を胸に実現する道を探し、それを実現してきた。

時代に新しい風を起こす人間というものはそんな、『諦めない』ネバーギブアップの精神を最後まで貫くことができる人間だと僕は思う。

浦上さんは『無限』の政策をこれからも打ち続ける。その先には地元岡山市民の笑顔があると僕は確信する。

士魂を持ち『義』を体現されている浦上さんのますますのご活躍を、僕は心から祈りたいと思う。

岡山の希望の光そのものが浦上雅彦という男だと僕は信じている。

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