» 人旅 17meet 三蟠鉄道研究会 内田武宏会長

人旅 17meet 三蟠鉄道研究会 内田武宏会長

人旅 17meets 三蟠鉄道研究会 内田武宏会長

地域の魅力的な方を訪ねる旅、本日の旅先は『三蟠鉄道研究会』の会長、内田武宏さんだ。

沖新田ではかつて鉄道が走っていた。大正4年8月11日から約15年間、その名も『三蟠軽便鉄道』。明治43年、三蟠港は宇野港の開港により以前の高松への連絡点としての存在意義を失い、衰退の色を濃くしていた。村長ほか地域住民は町の再活性策として鉄道を敷設したのが始まりである。今年で開通100周年を迎える三蟠軽便鉄道への思いを語っていただいた。

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三蟠軽便鉄道の歴史を紐解いていったのが3年前。平成24年6月30日名称を三蟠軽便鉄道研究会として独立し、鉄道に関する勉強会などで親交のあった鉄道好きの仲間や三蟠軽便鉄道に実際乗った経験のある方などと一緒にその歴史を辿っていかれた。

書物や資料だけでなく、鉄道会社の役員の生家も実際に訪ね、実際に足を運んで歴史を調べていかれたそうだ。

 

内田さんが三蟠軽便鉄道を取り上げた動機は、ご自身の所有している土地(畑)が鉄道の路線上にあり、敷設のために土地を提供したという歴史があること。現在その土地は廃線後、元の所有者である内田家に払い下げられたが、その当時の鉄道の名残があったことから、内田さんは非常に興味を惹かれたそうだ。

 

 走っていた蒸気機関車は開通当時は雨宮製作所製造のB型(駆動輪が2つ)だが続いてドイツ・コッペル社製のC型(駆動輪が3つ)が導入され、その後ガソリン車も導入された。列車は客車の後続に貨車のあるモノと人の両方を運ぶ性質を持った『混合列車』だ。

子供から大人まで、通学通勤、買い物、病院通院、海水浴、釣りなどそれぞれの目的を持った方々の貴重な足となったのだ。

さらに貨物は魚類、石炭などが主なものだった。石炭は路線先で操業していたガス会社や紡績工場などに供給されていた。

沖新田の田園風景を滑走する鉄道。想像するだけでも美しい眺めであったろう。

 

内田さん

『三蟠軽便鉄道の路線は8つの駅を往来するもので、寺社や史蹟などのゆかりのあるポイントを意識して各駅が設営されたのです。理由は昔から人が集まる場所、人を集中させる理がそこにあるからなのです』

 

三蟠港から最初桜橋まで開通したがその後国清寺まで延伸しました。岡山駅へ向かうお客がアクセスしやすいようにする為で岡山市内電車も西大寺町から京橋小橋中納言を経由し東山まで延伸させることで接続を図りました。

 

内田さん

『三蟠港に着く渡し船との連絡も考慮していました。つまり東児島の住民は渡し船で三蟠へ上陸していましたので三蟠軽便鉄道を利用してもらうことをPRしました。その証拠に渡し船も利用した通し切符が発行されていました。』

 

鉄道敷設のエピソードもなかなか興味深い。現在は児島湾大橋で沖新田と繋がっている『宮浦地区』。その地域の石工たち。秦氏のルーツを持つ彼らの技術力が工事に活かされているのだ。工事材料としてコンクリートもセメントもなかった時代全国屈指の石工集団の居た宮浦が対岸にあった意義は大きい。

 

旭川に巡航船が運航され始め、徐々に鉄道の乗客数が減っていった昭和6年。さまざまな事情が重なり三蟠軽便鉄道は廃線となった。

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大元

『当時の鉄道の名残はどこかにありますか?』

 

内田さん

『始発三蟠駅であった駅舎は最後の駅長平田高一氏のご子息平田竹二さんが現在釣具店として活用保存されています。その地にはレールの一部も保存されていて、当時の面影を感じることが出来ますよ。』

 

今年の平成27年9月5日、6日の二日間、『開通百周年記念大会』が山陽学園大学・短期大学にて大々的に開催予定だ。他に記念事業としてレールの実寸復元展示、スタンプラリーなどを展開予定だ。

 

これらの取り組みの発信先は当時鉄道を利用していた方々のみならず、将来を担う『子供たち』であると内田さんは語る。

 

内田さん

『今回のイベント趣旨でもありますが、「歴史を子供たちに教える」ということは非常に重要であると考えております。歴史はタテの線だけではない、ヨコの線も必要であります。つまり、起こった事柄を時系列に結ぶだけではなく、その事柄の時代背景、政治や経済、生活環境などどのように作用したのかを知るということです。』

 

『そして何より、子供たちに夢と希望を与えてあげたい。昔『鉄道マン』は子供達にとってヒーローだった。誰もが憧れ、大げさに言えば現在でいうところの宇宙飛行士のような職。大人になったら自分も鉄道マンになって汽車を走らせる、そんな夢を少年達は持った。そんな風に現在の子供たちも自分の将来に夢と希望を大きく描いて欲しい。

現在の社会は子供たちにとっても精神的支柱を失っているように思うのです。かつて鉄道を走らせた先人達のパイオニア精神に触れることで、何か刺激を受けて子供たち自身の心の中に良い影響を与えることができたら素晴らしいと思っています。』

 

最後になったが、毎回の恒例、その方がどんな言葉を胸に今まで生きてこられたかを問う『心の言葉』だ。

内田さんの心の言葉は

 

『日本文化を大切にしたい』 という言葉。

わが国の文化はとても美しく素晴らしい。世界にも誇るべきものである。文字、和食、日本語、四季を感じることのできる気候風土。そして勤勉でありかつ柔軟である日本人の気質、それすらも文化といえる。

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内田さんは今、百周年記念大会に向け日々忙しい毎日を送っておられる。

その動機は三蟠軽便鉄道が私利私欲のためではなく、多くの人の役に立ちたいという志によってレールが敷かれたのと同じく、子供たちへの夢と希望を喚起させるため、そして『日本の文化・歴史を大切にする』というご自身の基本精神が源であると僕は理解した。

 

記念大会で多くの子供たちが歴史に触れ、当時利用していた方々が思い出に浸る。

そして内田さん達の研究会の方々の気持ちが来場してくれる方々の一人一人に届くことを心から祈りたいと思う。

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