大元登記測量事務所
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信定報三さんに人旅
沖新田地域の魅力的な人を訪ねる『人旅』。今回は学区のサッカー少年団の部長さんであり、沖新田一座で池田光政役を演じておられる。『信定報三さん』を訪ねた。
信定さんがサッカーを始めたのは高校の部活動がきっかけだった。
他の地域から入学していた信定さん。学生寮の先輩に誘われて、サッカー部に入部。当時は体も小さく、フィジカルな面で他の生徒さん達よりハンデがあったが、持ち前の負けん気と努力でスキルを上げ、背番号『5番』、今で云うところの『ボランチ』のポジションを勝ち取った。
大元 『高校サッカー部では何を学びましたか?』
信定さん『スポーツを通じて上下関係と礼儀を学ばせてもらったよ。』 高校を卒業後、朝日クラブというサッカーのクラブチームに入り、サッカーを続けた。何より信定さんはサッカーが好きだったのだろうと僕は思う。
週末のクラブチームの活動を続けながら、実業団のチームでプレーできるようになるチャンスを信定さんは掴む。
卒業してからサッカーを辞めていたとしたら、その展開は起こりえなかった。継続するということはチャンスを導くことが出来るのだろう。 実業団のサッカー部で選手としてプレーし続けた信定さんが38歳の頃、体の衰えを少しずつ感じ始めたという。信定さん『以前出来ていたプレーができない。思うように体が反応しない。思ったところ
に体をポジショニングできない、そんな違和感があった。それが身体能力の低下であると気づくには時間がかかったよ。自分はまだまだ出来ると思っていたからね。』
年齢による選手生命の終わり。認めたくはなかったが、現実であった。当時を振り返り
信定さんは『つらかった。情けなかった』と表現している。
38歳で引退をし、直後から地域のサッカー少年団の指導員としてリスタートすること
になる。やっぱりここでも信定さんはサッカーから離れなかった。サッカーとの強い絆が
あるに違いないと僕は思う。
以来30年以上も学区の子供達にサッカーの楽しさを教え続けてきた。学区のサッカー
少年達で信定さんを知らない者は一人もいない。
大元 『サッカーから子供達に何を学んで欲しいと思っておられますか?』
信定さん『礼儀を学んで欲しい。自分もそうだったし、そのおかげで社会に出ても人とキチンと接することができた。それに『感謝する心』、サッカーが出来るのは両親がいるから、弁当を作って応援してくれている母親がいるから…と好きな事が出来る幸せを感じて家族や仲間に感謝する気持ちを持って欲しい。ありがとうの精神を持ってもらいたい。』
大元 『今の子供達を見てどう感じておられますか?』
信定さん『親にあまり怒られて育てられていない。それにいろんな意味で恵まれ過ぎている。だから不満があっても我慢するということがなかなか出来ない。』『平等を重んじる変な風潮があるように思う。昔は自分が劣っているなら、『ナニクソ!』とハングリー精神を持って強い気持ちで頑張っている子供が多かった。少し今の子達は貪欲さに欠けるように思う。』
サッカーで鍛えられた信定さんにするとまだ甘い子供が多くなったように感じておられ
るのかもしれない。信定さん達の世代が日本をここまで豊かな国にしたと僕は思う。
だからぬくぬくと大きくなった僕らの世代以降の若者を見ると不甲斐なく感じさせ
てしまうのだろう。僕も少し恥ずかしい気持ちになった。(笑)
最後に『心の言葉』を聞いた。人生を振り返り、出てくるその方だけの『言葉』だ。
『出会いが人生を決める』
『一日一生の精神』
サッカーを勧めてくれた先輩に出会わなければ信定さんは全く違う人生を歩んだこと
だろう。だから出会いに生かされたと強く感じておられるのだろう。
そして、今日という日は二度とない。だから今日一日が生涯の全てだという気持
ちで生きる。その一日を積み重ねることが人生であるということなのだろう。
アスリートとして生きてきた信定さんらしい心の言葉だ。
今後もサッカー部長を続け、体育協会副部長を兼任し、沖新田一座で地域の歴史を伝える
取り組みをするなど大忙しの毎日を送っておられる。
現役を引退してもやっぱり信定さんはどこまでもアスリートだと僕は思った。
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