» 不屈の精神で沖新田を築いた『津田永忠』

不屈の精神で沖新田を築いた『津田永忠』

写真の人物を皆さん知っているだろうか?

土木や経営の知識に秀でた岡山藩士『津田永忠』その人である。

ここ『沖新田』には津田永忠の像が二箇所建てられている。ひとつは旭川にかかる『岡南大橋』の渡り口、そしてもうひとつは『沖田神社』の境内である

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サイトの名前にもなっている『沖新田』という地名。この地名のルーツは江戸時代にまで遡る。
当時岡山藩では、人口増加に伴い、食料不足が藩の大きな問題として重くのしかかっていた。

永忠はこの苦境を脱するために壮大な事業をお殿様に進言する。『沖新田干拓事業』。

当時の食料つまり米を増産するためには新たな田が必要である。児島湾の近くの八幡が灘と呼ばれたエリアに三角州が出来ていたのだがそのエリアに堤防を築き、海水を排出して新たに土地を作り出し、新田開発するという大工事を計画したのである。

永忠は自ら陣頭指揮を現場で執り、何度も事業失敗の危機を乗り越えて見事この地に約1,900ヘクタールにわたる新田を築いたのである。

この御仁、岡山でも有名な後楽園や閑谷学校などの造園、建設にも携わった、凄腕事業家なのである。

沖新田に建てられた像には地元住民が手を合わせ、お供えをする方も居られる。

かつてこの地を拓いた人への尊敬の念。沖新田の住民も忘れてはいないんだ。

永忠殿は、現在も沖新田にあって、地域の繁栄を温かく見守ってくれている。

 

 

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